維持費は一またぎ約6万円、全長約60kmの木道網
さわやかな緑一面の湿原に、どこまでも続く木道…
多くの人にとって、尾瀬はこんな風景とともにイメージされるのではないでしょうか。
いまや尾瀬の風景の一部といえる木道も、現在の形に落ち着くまでには紆余曲折がありました。
最初の木道は昭和27年(1952)、大江湿原〜赤田代間に設置されています。
森から伐り出した木材や倒木をぬかるみのひどい場所に置き、登山者が歩きやすいよう整備したのがはじまりです。
ところが昭和30年代の観光ブームで尾瀬を訪れる人が急増。木道から外れて歩く人も増え、湿原の踏み荒らしが問題に。木道には「多くの登山者から湿原を守る」という役割も加わります。
昭和30年代後半には行政や東京電力(群馬県側の土地を所有)も木道整備に取り組み、域内約60kmにおよぶ木道網が完成。尾瀬の厳しい自然環境では木道の腐食も早く、途中は軽量コンクリート製・ウレタン板・アルミ板の道も試験導入されます。ところが「滑りやすい」「景観を損なう」と登山者には不評で、けっきょくは木道に戻されました。
昭和46年(1971)には域内の木材調達が禁止され、その後はおもに長野県産カラマツが使われています。腐りにくいカラマツですが、それでも木道としての寿命は7年〜10年。木道1基あたり長さ4m、幅50cm※もあるため、さすがにボッカさんが運ぶわけにもいかず、ヘリコプターで搬入されています。敷設と維持にかかる費用は、木道1mあたりの換算で約12万円とのこと。
近年は撤去後の木道をリサイクルし「エコペーパー」として再利用する取り組みも始まっています。
※ 環境保護活動レポート≪木道工事編≫|尾瀬とTEPCO|東京電力
参考文献
新井幸人『尾瀬の素顔』(1994)マガジンハウス.
尾瀬保護財団『尾瀬自然観察ガイド』(2002)山と渓谷社.
猪狩貴史(編著)・尾瀬保護財団(監修)『尾瀬自然観察手帳』(2008)JTBパブリッシング.
『木道』について
開館・休館/見学時間 | いつでも |
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